春から社会人になるので自身の人生を振り返ってみると失敗、成功、挑戦、様々なことを通し、とても充実した日々を過ごしていたのだと強く実感しました。
今回は私とアイスホッケーについて少しお話させていただこうと思います。 初めてのブログのため読みづらい部分が多々あると思いますがご了承ください。
私は幼少の頃、友達とのサッカーに明け暮れ、いずれはサッカー部に入りたいと思っていました。しかし、私の思いを一瞬で変えてしまったのがアイスホッケーとの出会いです。
アイスホッケーとの出会いは小学3年生の冬でした。たまたま家族でスケートに行った際、アイスホッケー少年団部員募集のチラシを見つけ、「体験だけでもいいから」と無理やりに連れて行かれたことがきっかけでした。「このスポーツのどこが面白いのかわからない」そう思っていたのですが、実際に体験してみると氷上で激しいぶつかり合いをするアイスホッケーに一瞬で魅了されてしまいました。始めた時期が遅いこともあり、周りに追いつくため、毎日のようにスケーティングや家でハンドリングの練習をしました。
中学校でも部活としてアイスホッケーを続けるため日光の中学校に進むことに決めました。電車通学が困難なことから同じ中学校に通う予定であった友達の家に下宿させてもらうことになりました。アイスホッケーを続けられる環境を作っていただき、現在までアイスホッケーを続けられたので感謝の気持ちでいっぱいです。これが私にとっての人生の分岐点でした。この経験が私を人間的にも、アイスホッケー選手としても大きく成長させてくれました。中学校に入学すると自分より一つも二つもレベルが高く、練習についていくので精一杯でした。中学校では周りの同級生が試合に出ている中、自分は試合になかなか出ることができずそこで初めての挫折を経験しました。1年間試合に全く試合に出られないことが初めての経験だったのでとても辛かった記憶があります。しかし、試合に出ることのできない1年の間にDF コーチである河津さんという方に熱心にご指導していただいたおかげで、2年目にはチームの看板セットであるプレーさせてもらうことができ、選手として多くの経験を積むことで大きく成長することができました。私にとってはこのDFコーチである河津さんという方と出会えたことがとても大きく、私のアイスホッケーの基礎になっています。そして、2年生の全国大会では3位という結果を残すことができました。3 年目は自分を含めた 3 人しかDFがおらず、毎試合、足がつるのが当たり前のような環境でやっていました。当時はとても辛かったですが今思うと好きなアイスホッケーを思う存分できて幸せだったなと思います。私生活では中学で親元を離れたので良くも悪くも様々な経験をすることができました。そのため、中学時代が現在の私のアイスホッケーの基礎、人間形成に関わった大切な時期でした。
高校は地元の日光明峰高等学校に進みました。高校は実家から通うことになり、毎朝5時起きで始発の電車に乗り、夜の氷上練習が終わって親に迎えにきてもらい、家に帰ってくるのが23時という忙しい生活が始まりました。しかし、日光明峰高等学校は県立の学校であるにも関わらず丸々一つの体育館がウエイトルームやスケート場に控え室があること、陸上トレーニングするにも多すぎるほどの坂道があるなど環境がとても整っていました。そのため、忙しく大変な日々でしたが高校選びに間違いはなかったと思っています。同期 12 人、先輩にも恵まれ、高校2 年生の時には地元、日光でのインターハイで全校応援という中でプレーをすること、国体では2位という成績を残すこともでき、とても充実した高校生活を送ることができました。
大学では、幸運にも歴史と伝統のある法政大学に入学することができました。入学当初、周りには強豪校出身者ばかりでレベルの高さに驚かされました。最初の頃は運良く試合に出ることができましたが私の悪い癖である手を抜いてしまうということもあり、練習を適当にしてしまったりすることから徐々に試合に出ることが難しくなったりする時期もありましたが周りに助けてもらったおかげで 1 年目のインカレの時には試合に出してもらうことができました。しかし、2 年目には自分自身のホッケーに対する気持ちの面で上がらず適当にプレーしてしまい、周りに迷惑をかけてしまいました。3年目はコロナ禍で数少ない試合数の中、自身の就活などで試合に出場できずにチームファーストで動けずにチームに迷惑をかけていたのかなと思います。以上のことから大学のアイスホッケーを振り返ると 4 年間を通してチームに貢献できずに逆に迷惑かけてばかりいたと反省し、とても申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかしながら、4年間、先輩、後輩に恵まれ、騒がしい寮生活、日々の氷上練習と人生で一番と言っていいほど楽しい時間を過ごすことができ、感謝の気持ちでいっぱいです。
13年間やってきたアイスホッケーを離れ、社会人になりますが、これからも周りへの感謝の気持ちを忘れず、又、アイスホッケーを通して学んだことを活かし、人生を楽しんでいきたいと思います。