引退投稿〜4年生金子凌大

こんにちは。法政大学スケート部前副主将#18の金子凌大です。

森健城さんに書いて欲しいと頼まれ、このように文章を書いたことがなかったので上手く言葉にできているか分かりませんが、温かい目でご覧頂けると幸いです。

インカレを終え引退した身ではありますが、また3月から合宿所に集合し部活が始まるのでは?というように正直引退したという実感があまりないという状況で書いていこうと思います。

それでは本題に移り、今回は自分のホッケー人生を振り返ったり、後輩へのメッセージなど自由に書いていいと言われたので自由に書いていこうと思います。

私が仙台という地でアイスホッケーを始めたきっかけとしては、小学1年生の時に学校の行事でスケート教室があり、1年生には6年生の先輩が付いてくれるというシステムで、私に付いてくれたのがあもちゃん(吉田有美加さん:元SEIBUプリンセスラビッツGK)でした。そして、アイスホッケーの体験をしてみないかと誘いを受け勝山Jrの体験に行ってみたところアイスホッケーという競技にどハマりしてしまいました。今思うとアイスホッケーがマイナーな地で始めたというのは奇跡に近いと思います。

小学生ということもあり進路などは全く意識していませんでしたが、東日本大震災の影響もあり6年生の時に盛岡に移り住み、チームは八戸の北Jrに所属しました。朝練の時は朝3時頃に出発し車の後部座席に布団を敷きそこに寝ながら八戸のリンクに向かうという生活を送っていました。毎回送迎をしてくれた親に本当に感謝しかないです。

八戸のチームに所属していたということもあり、中学校は八戸市立第二中学校に進学しました。二中での思い出で一番印象に残っていることはやっぱり三年の時の日光で行われた全国大会です。準々決勝では、法政で同期のゆう(糸崎勇)や後輩の永吉(安藤永吉)、駒澤で同期だったやじ(中央大学#7矢島翔吾)がいる合同Cと当たったのですが、合同Cは全道優勝しているチームだったのにも関わらず勝てる雰囲気になっていたのが今でも印象に残っています。試合では二中が勝利したのですが、この試合を今でも自分に言ってくるのがゆうで、試合に勝ってディズニーに行く予定だったのが負けて行く羽目になったと根に持っているようです(笑)。大会自体は準決勝で鳥取中に負け、三決で三沢に勝ち三位という結果で終わりました。その時に笑って終われるのは優勝と三位のチームだけだと言われ、インカレの三決前にも思い出したくらい印象的でした。

高校選びには凄く迷いましたが、大久保さん(現東北フリーブレイズ監督)に駒澤に挑戦してみないかと言われ、自分自身インカレ優勝最多のチームでプレーしてみたいという気持ちから駒澤大学附属苫小牧高等学校に進学を決めました。進学したのは良いものの、朝は7キロ半の山道を走りその後ウエイト、それから学校に行き午後から自転車でリンクに向かい氷上練習、そして学校に戻ってき陸トレ・ウエイトの毎日。。。本当に辛すぎて何回やめたいと思ったことか(笑)。辛い中で自分を支えてくれたのが石橋さん(石橋拓実:ダイナックス)です。見た目はゴツいので怖そうなのですが、中身はチワワみたいな本当に優しい先輩で、石橋さんなしでは死んでいたと思います。自分は、二年目から試合に出場させて頂き、3年目はインハイ準優勝だったものの二年目に優勝という良い経験をさせてもらいました。駒澤での経験が今の自分を作っていると言っても過言ではないほど濃かったです。

大学は法政大学に進学を決めましたが、法政大学を選んで本当によかったと思います。入学が決まり、入寮する時に部屋割りを聞かされ、松井さんと二人部屋と聞いて唖然としました。あんな怖そうな人と二人部屋!?やっていけるのかという気持ちでいっぱいでしたが、いざ同じ部屋になると優しい優しい。甘いもの大好きな甘党。好きなアニメはクレヨンしんちゃん。寝る時はジブリの睡眠用BGMをかけるなど見た目とは真逆で可愛いところいっぱいなんです。こんなこと書いたらやられるかもしれないですけど(笑)。ご飯や遊びに連れて行ってもらったりと良くしてもらいました。

一年生の時に一番思い出に残っているのが石田さんに江ノ島に連れて行ってもらったことです。今思うと一年生の自分を誘ってくれるって本当優しいなと思います。アランとけんしょうも一緒に江ノ島に行きそこから仲良くなり今ではマブですね。二年目からアランと部屋になり一緒にいることが多くなり本当に兄弟みたいな感じでした。アランとは同じセットでプレーすることが多かったので、一緒にNHLのプレーを見ながらもっとこうした方が良いかななど毎晩遅くまで話し合って、それが終わるとゲームが始まって朝練の出発の時間まで行い、オールで練習に行くという毎日でした。あの頃は寝る時間も惜しんでやりたいこと行ってましたね(笑)。そして自分たちの部屋に常に居たのがけんしょうです。帰れって言っても居座り終いにはソファーで寝てるという。本当に厄介でした(笑)。でも、三人は趣味などが似ているので常に語ってました。あの時間が楽しすぎました。定期的に会うくらい仲良いですよ。

仲良いといえばけいたさんもでした。危ない危ない。書かないと文句言われそうなので書かせてもらいますね。けいたさんには本当に本当に良くしてもらいました(嘘ではありません)。甘いものを食べに行ったり、新大久保に韓国料理を食べに行ったり、ディズニーランドに行ったりと結構一緒に出かけることが多かったです。ディズニーに行くっていうのも前日にノリで決まって部車でディズニーの音楽ガンガンで向かうっていうのが楽しすぎましたね。

私は先輩に仲良い人が多かったので卒業した後、自分が四年生に上がる時は心にぽっかり穴が空いた感覚で凄く寂しく、自分に四年生が務まるのかと不安な気持ちでいっぱいでした。そこで自分の支えになってくれたのが栗原くんですね。こうせいとはなんだかんだ四年間一緒にいました。こうせいはホッケーIQが高いので、プレーに関してアドバイスをもらったり、寮のベランダで二人で焼肉をしたり、学部も一緒だったので常に一緒でした。ほとんど彼女のような存在でしたね(笑)

そんなこうせいと離れると考えると寂しい気持ちではありますが、就職先の勤務地が東京になれば、気軽に遊んだり、Sリーグで敵としてホッケーをしたりできるので東京勤務になることを祈ります(笑)。

4年間を振り返って思ったのは、法政は本当に良いチームだと思います。アイスホッケーを行ってきて、ここまで色々な価値観や感性を持ったチームを見たことはなかったので視野が広がったと思いますし、ホッケー上手い人が偉いみたいなアイスホッケー部っぽさもないので、凄く楽しくプレーでき、結果も残せるチームは法政くらいだと思います。私はおすすめしますね(笑)

最後に、親には感謝しかないです。ここまで自分をサポートしてくれてありがこうございました。インカレでは、珍しくポイントを重ねることができたので現地で一緒に喜びたかったです(笑)。これからも迷惑をかけることがあると思いますが、よろしくお願いします。

そして、監督やコーチ、スタッフの皆さん、短い間でしたがありがとうございました。

4年間応援してくださった方々、ありがとうございました。引き続き法政大学の応援の方よろしくお願いします。

最後まで読んで頂きありがこうございました。

#18 金子凌大